Orange Tea

Author * hideち / 愛でるモノは音楽・本・植物・金魚でス。
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ニーチェの錯乱、失われたのは偽者の善。

 ニーチェに中てられドイツ人に対して変な先入観を持ちそうなhideちでス。
『ツァラトゥストラかく語りき』を読もうとしたのに、『この人を見よ』の方に何故か手が出ちゃったのダ。電車の中でこの手を読む人はあまりいませんが、万人が待つホームで堂々と読む自分は、裸の王様の様に晒される気分に、恍惚となル。

 精神錯乱に陥る前の、静かな心持ち。人が、人足らしめる最も研ぎ澄まされた位置。あの、何とも不安定な針の上に位置した精神。狂気の反対が正気ならば、迫り来る狂気を真っ向から迎える正気。
 いや、寧ろ巨大な狂気がそこにずっとあり、正気が、自分を律する正気が、迎え撃つのだ。
 いや、寧ろ正気のお陰で自分が妨げられていたのだ!正気は「常識」があるとされる「善人」が持つものだが、善意は明らかな本能の欺瞞であり、つまり欺瞞からは決して真理を語らない。その世界から生まれるのは、常に聖人と呼ばれる人であった。しかし、聖人は「創造する力」を持たない。嘘からは嘘しか出ず、何を作ろうにも嘘しか出てこない。それは破壊神ダ。
 するとサタンが最初に地面を歩いた人となる。それなら私は何の恐れがあって正気を捨てようか。狂気が目覚める時に正気が味わう苦痛を味わおう。だから、狂気を!

 ニーチェは精神の地面に足をつけてしまっタ。浮いた足では見渡せない、浸れない、地面(レアリテート)に。目覚めれば求めなければならない狂気があり、目を閉じると善人の声が聞こえそうになる。"この人"は一歩を踏み出した。ああ、狂気。これが真理!
 彼にとって、善人、欺瞞の象徴がドイツ人であったのか。それでも、「人が良い」ニーチェは彼らを捨てられなかった。口で何度も、何度も、彼らを捲し立てた。でも、捨てられない。彼は生粋の「聖者」にもなろうとしたのか。「神聖化」されない聖者。

 "この人"にニーチェはなりたかった。
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